――Superfly結成のいきさつを教えてください
「高校の頃からバンド活動はしていました。短大時代、バンドメンバーの通っていた大学の音楽サークルに入り、そこでSuperflyの元メンバー、多保君に出会い<フィソガー・ファイブ>というカバー・バンドを結成。元々Superflyは多保君がヴォーカルのバンドだったのですが、遊びでやっていたバンドの感触が良かったので私がヴォーカルとして加入することに。でも、その頃の私は歌うことは大好きだったのに、個性のない唄い方しかできなくて・・・。自分でもそれがすごくイヤだったんです。ある日多保君が60~70年代の洋楽をたくさんMDに入れてくれて、そこでジャニス・ジョプリンに出会ったんです。あのシャウトやパワフルな唄に触れて初めて、自分の方向が決まりました。<私の進むべき道はこれだ!>って。」
――ずっと地元愛媛で活動していたんですよね。
「そう、みかんばっかり(笑)。愛媛以外に住んだことはなかったです。CD屋さんにもCDがたくさんあるわけじゃないし、有名な人のライブも頻繁に見れるわけじゃない。まして外タレなんて来ません。レコード屋さんのオーナーにいろいろ教えてもらったり、見に行くライブも1回1回が貴重。大好きなストーンズは大阪まで皆で車にぎゅうぎゅう詰めになって夜通し走って見に行きました。苦労した分だけ何かを得ようとするので、印象に残ることが大きいですね。それに、音楽以外にやることがない(笑)。唄うことも遊びになるし、音楽を作ることが楽しみになるんです。」
――二人組ユニットとしてデビューしたSuperflyですが、2007年11月多保さんが作曲に専念するために志帆さんの一人ユニットになりました。一人でのアルバム制作はいかがでしたか?
「今までは唄うことだけに専念できていたので、最初はとまどいました。一人でやるなんて、想像もしてなかったし。二人の時には遠慮したり、周りに気を使って言いたいことが言えなかったのですが、今はちょっとでも違和感があればとことん話し合うようにしています。言いたいことは言う。なぜなら妥協することはSuperflyにとって良くないことだから。日産キューブのCM曲で海外のアーティスト"JET"とコラボした時にも、それは強く感じました。彼らは自分の思っていることを臆さず言うんです。恐れずにアイディアを出す。そしてスタッフを説得する。彼らの姿勢を目の当たりにしてから<表現したい>という気持ちが更に大きくなりました。」
――積極的になったんですね。プライベートでも積極的?
「好きな人には自分から言いますね。短気ってわけじゃないけど、すぐに解決したい。白黒ハッキリさせたいんです。でも、あせりすぎて時には失敗したりします(笑)。最近は一緒に仕事をしている人たちが自分より10歳くらい年上の人が多いので、落ち着いている大人の人を見ると自分は子供だなぁ、と反省して少し冷静になりました。大人を見てると刺激を受けますね。」
――今、「LISMO」のCMでSuperflyの曲がたくさん流れていますね。
「CM撮影では頑張って踊りました。合成ってタイヘンですね(笑)。絵コンテを見て想像しながら踊ったんですが、とってもカワイク仕上がりました。こんなにたくさんSuperflyの曲が流れるのはウレシイですね。チャンスをいただけて幸せです。目標はストーンズのように東京ドームでライブをやることなので、今後も良い作品、皆さんに愛される作品を作っていきたいと思います!」
Superfly04年結成。07年4月「ハロー・ハロー」でメジャーデビュー。その楽曲センスと志帆の圧倒的なヴォーカルで瞬く間に業界のブライテストホープに。08年2月、「愛をこめて花束を」がドラマ「エジソンの母」の主題歌に。08年4月、「Hi-Five」が、本人出演でau「LISMO」CMソングに抜擢。6月29日(日)新潟を皮切りに全国10カ所11公演全国ツアーが決定している。

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